「一緒」の幸せ

ヒト(ホモ・サピエンス)に生まれて良かったと思う。こうした想いを抱いたのは、ひとえに子どもの存在による。

この夏、42歳の僕は6歳の息子のおかげで、子供心に戻って遊び回った。
実に二十数年ぶりの釣りで、小さなイワナが一匹かかった。塩焼きにして家族三人で(ちょっとずつ)食べた。美味かった。
オタマジャクシとアカハライモリを捕まえて飼った。オタマはモリアオガエルになった時、イモリは干上がった池の水位が雨で戻った時点で、帰してやった。
虫取りもした。オニヤンマを息子が先に捕まえた。焦った父親は本気で作戦を練り、結果、かなりの確率で捕獲できるようになる。後日、息子が保育園の友達に、お父さんのことを自慢していた。心底、嬉しかった。でも実は、奴らを捕まえたのは生まれて初めての経験である(子どもには内緒だ)。
湖上のボートでお弁当を食べたり。フリスビーやサッカーしたり。先日は自転車を練習して、半日で補助輪なしで乗れるようになった。教え方が良かったのだと、作戦が良かったんだと言い聞かせたが、子どもは頑なに「僕が頑張ったから」と受け入れない。頑固な奴だ。
子どもがいなければ出来なかっただろう、こんな経験。なかなか素敵だ。

00433207「父親ならでは」と思われただろうか。でも実は、ウチはいつも妻も一緒に三人で遊んでいる。「僕の子どものお母さん」が彼女だというのは、実に素敵だ。
もちろん、家事(=育児だと思う)も分担制だ。得意・不得意はあるにせよ、出来る・出来ないという点では、「性による差」はそれほど大きくないと思う。三歳児神話、母親が育児に専念すべきという「常識」は根強い。半世紀ほど前までは大家族での「寄ってたかっての」育児が普通だったことは、忘れ去られてしまった。

母親だけに子どもを押しつける日本の現状は、歴史的・地理的観点からも少数派なのだが。ヒトには「小さくて未熟なもの」の世話をする本能があるという。母性愛は絶対のように言われるが、女性だけが「生まれながらに」持っているものではないそうだ。しかるに父親も、子どもと一緒に過ごす楽しみを「男である」ことを理由に手放す手はないだろう。

不謹慎かもしれないが、人間の子どもは、他のどんな動物より面白いと思う。特に、ヒトには言語という特別な道具・能力があり、その成長はなかなかに感動的だ。言葉を使い、子ども達は自分の持てる知識を総動員して考え、話し、行動する。息子の「言い分」に「こういう考え方するのだ」と感心させられることもしばしばである。僕の本能を刺激する「愛すべき小さな者」の成長に、妻と一緒に立ち会えることを幸せに思う。オスがここまで子どもに関われる種は希だ。故に僕は、ヒトで良かったと思うのである。

赤間 章裕

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皆さんこんにちは。赤間章裕と申します。昭和43年の申年生まれ。偶然ですが、一人息子も申年です。そう言えば、6月生まれというのも共通でした。
「子育て」というより、「子育ち」の傍らで「親育ち」させてもらっています。ということで、息子は師匠でもあります。昨年末、知り合いの紹介でお父さん委員会幼児部に入会しました。新参者ですが、たぶん出雲代表につぐ高齢ですね。
もうすぐウチの子も小学生。委員会も「卒業」となります。子どもと遊ぶのが好きなので、今後も何らかの形で関わっていければと思っています。若い頃から「子どもと動物“だけ”にはモテる」(近所のおばさん談)と言われ続けていましたので…
以上、簡単ではありますが、自己紹介とさせていただきます。よろしくお願いします。

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